2018年06月14日
ストラテジーブレティン 第200号
歴史的大変革時代、株主資本主義の勃興
(1) 歴史的大変革時代の到来に議論の余地なし
大変革期到来
インターネット、AI(人工知能)、ロボットと、通信情報革命の進展は止まるどころか、一段とうなりをあげて加速している。十年後は、我々の生活、ビジネス、経済、社会が、いまとは比べものにならないほど大きく変わり、成功の夢にあふれた時代になっているだろう。まさに現在は人類の歴史上屈指の大変革期である。西洋人が新大陸を発見し、夢と希望をもって海を渡った十五世紀の大航海時代。ゴールドラッシュに誘われ、アメリカ人が西部の荒野を突き進んでいった十九世紀の大開拓時代。西洋文明を乾いたのどを潤す水のごとく吸収し、近代化を推し進めた明治大正期の日本の大発展期――。そんなロマンにあふれた時代と比肩できるほどの、いや、もしかしたらそれ以上の大激変期かもしれない。
サクセスストーリーと斜陽化の混在
大転換期には多くのビジネスチャンスが存在する。アメリカンドリームという言葉は有名であるが、サクセスストーリーはアメリカだけの特権ではなく、中国アジアなどに満ちあふれている。しかし、他方でかつての主役が軒並み退場を迫られつつあるという現実もある。インターネットに駆逐される既存流通網、既存の銀行システム、既存の情報メディア、出版・テレビ・新聞などが斜陽化することが見えてきた。特に銀行預貸業はブロックチェーン技術の発展により、かつてのフィルム産業、レコード産業のごとく、霧消するかもしれない。
斜陽化する銀行預貸産業、台頭する株主資本主義
だが心配するには及ばない。金融の新旗手として株主資本主義が大きく台頭しつつある。今や株式市場は配当と自社株買いにより、企業余剰を実体経済に還流させる最大のチャンネルとなっている。またM&Aによる創造的破壊の舞台である。加えて新技術があらゆる局面での裁定を可能にし、利ザヤが極限まで低下する中で、株式と他の金融資産との間には顕著な価格差が存在している。日本の国債利回りや預金金利がゼロ、それに対して株式配当2%、株式益回り7%と極端である。この株式の割負け(相対的高リターン)は世界共通である。そこは最後に残された巨大な裁定投資の処女地といえる。狭義の金融(債務・元本保証の金融商品)のリスクがテクノロジーによって計量化され薄利化していくのに対して、株式は計測不能の不確実性そのもの、そこに金融利益の源泉が集約されていく時代である。新産業革命は、金融の担い手を銀行から証券会社に転換させることになるだろう。
日本における株価上昇の限りない可能性
近代日本の株価を振り返ると、昭和の後半、1950年から1990年の40年間で日経平均は約400倍の値上がりを見せた。しかし今上天皇が即位した1989年の日経平均は30,000円、退位される2019年の日経平均が現状維持(2019年6月14日時点で23,000円)だとすると、30年間で約23%減である。しかし、新しい天皇の時代、年率10%の率で株価が上昇すれば、15年後の2034年には日経平均100,000円を突破する。世界的な株価上昇はここ40年で年率ほぼ10%なので、そのペースでいけば、日経平均は100,000円になり、株式時価総額は現在の686兆円(国民一人当たり571万円)から3000兆円(一人当たり2500万円)へ劇的に増加するのである。そんな馬鹿な、と思われがちだが、アベノミクスが始まる直前と今とを比較すると2012年11月末から今日までのわずか5年半の間に、日経平均株価は2.5倍となり、株式時価総額も2.7倍となったのである。
長期株高を支える日本の二つの優位性
それでは日本の株価が年率10%で上昇し続けることの根拠は何か。平成の時代に日本の将来を保証する二つの決定的優位性が育まれたことを指摘したい。その第一は国際分業上の優位性。日本企業は「ナンバーワン領域」を失った代わりに、技術・品質で無数の「オンリーワン領域」を確保した。国際分業が進展し、各国が相互依存を強めていくとき、大切なものは希少性である。希少だから高く売れて儲かり、国民生活と経済、投資が報われる。近年絶好調の日本企業の業績は、この希少性に支えられているといっていい。
平成時代に日本が巡り合った二つ目の優位性は、日本の地政学的立場である。世界覇権をめぐって米中対決が本格化しつつある中で、日本が米国につくか中国につくかで米中の覇権争いの帰趨は決まることは明白。米国にとって、日本はイギリスやイスラエルなど、どの伝統的同盟国よりも重要になってきている。中国に対抗できる強い日本経済は米国国益に直結する。近代日本の盛衰を決定づけてきたのは地政学環境、つまり日本が世界の覇権国とどのような関係性にあったのかであるが、それがかつてないほど有利化しているのである。もはやジャパン・バッシングの円高や貿易摩擦は起きようもない。それは日本の国際分業上の優位性をさらに強めるものとなるだろう。以上が、日経平均が年率10%で上昇し続けるという話の根拠である。株式投資を成功させる知恵が、人々の人生後半の幸福度を大きく左右する時代に入っていることは、ほぼ間違いない。株式を「投機だ」「不労所得だ」と蔑み遠ざけてきた時代は終わっているのである。
(2) 金融市場の変質と株価革命の可能性について・・・・拙著「新帝国主義論」2007年より
金融市場の変質
規制緩和、インターネット、金融技術(金融工学による全商品、瞬時の裁定)などにより、地球帝国の全ての資本は国際金融市場という一つの大海に流れ込んでいる。そして金融機関にとっての利潤機会は小さくなっている。従来の金融機関の利益の源泉はマーケットアクセスチャージ、場所代、胴元代つまり特恵的(排他的)優位性を利用した手数料や利ざや、取次ぎ代、であった。これが規制緩和とテクノロジーの進歩により殆ど無になった。株式手数料、銀行の利鞘、上場債券の売買差益等が限りなくゼロに近くなっているのは、このような世界史的現象なのである。金融市場は一段と効率的になり、ボラティリティーが低下し、クレジット・リスクプレミアムや長短金利スプレッドが縮小している。金融工学を活用しても儲け難くなった。
市場の効率化は、「自動調節機能(automatic stabilizer)」の飛躍的向上に、如実に現われている。2005年、2006年と世界金融市場では、株式、金利、商品市況の乱高下が続いた。しかし、インフレにもデフレ・リセッションにもならず、市場の懸念は実現しなかった。それは「自動調節装置(automatic stabilizer)」が機能しているためと言える。中央銀行の政策とは無関係に、金融市場が資産価格、金利の変動により、経済の安定、最大成長をもたらすという安定化機能である。2006年は、米国では、インフレ、景気加速懸念、バーナンキ議長に率いられたFRBの過剰な金融緩和スタンス懸念から、原油価格、金価格、長期金利が急騰し株価が下落する場面が見られた。しかし、上昇した原油と長期金利が自ずから景気過熱を抑制し、景気が減速すると共に、逆に原油と長期金利が低下し、次の需要拡大のプラットホームを形成しつつある。かつてのように中央銀行だけをウォッチしていても、市場の動きも経済も予測しにくくなっている。
こうした中で、伝統的なdebt(債務・元本保証)のビジネスは著しく困難になっているのである。しかし他方ではequity(持分資本・元本変動)のリターンはますます極大化し、デットで調達しエクイティーで運用するメリットが著しく増大している。
まさしく新古典派、シカゴ学派の創始者であるフランク・ナイトが提起した不確実性(uncertainty)理論が半世紀を経て、現実のものとして、甦っているのである。ナイトは不確実性を、従来それと同一視されてきた危険(risk)から区別した。ナイトによると危険(risk)は測定可能な不確実性であり、先験的に計算や過去の統計によって知りうるものである。これに対して狭義の意味での不確実性(uncertainty)は、測定や数量化することができないリスクである。従って、利潤の源泉は不確実性にある、と主張した。危険(risk)と不確実性(uncertainty)は競争の形態にも相違を与える。完全競争は全ての人に「実際上の全知」を仮定しており、その場合には将来は、全て計測可能な危険(risk)である、と言うことになる。よって利潤は生まれないことになる。しかし将来の不確かさが、計測不能な不確実性(uncertainty)によってもたらされているとすると、そこでの競争は不完全な部分的知識に基づく、不完全競争、と言うことになり、それには利潤が伴う。現実の世界の人間の行為は不完全な知識、生半可な理解に基づいて行われており、故に経済のバリュエーションが生まれる。もし不確実性が無く全てが計算可能であれば、経済活動は退屈なルーティーンだけとなってしまう。このように不確実性(uncertainty)こそが市場の経済活動をダイナミックにしているのであり、利潤の源泉となる、という訳である。
このようなナイトの理論に照らせば、金融工学の発展、規制緩和、インターネットの浸透は、多くの狭義の不確実性(uncertainty)を、測定可能な危険(risk)に転換してしまった訳で、その結果利潤の源泉である不確実性(uncertainty)が著しく小さくなり、金融利益が圧迫されている、と考えられる。ナイトの定義に従えば、現在の国際金融市場で顕著なボラティリティーの低下、クレジット・リスクプレミアムの低下などの現象は、投資家のリスクテイクが活発化したと捉えるよりは、その金融分野での狭義の不確実性(uncertainty)が危険(risk)に転換したためと考えるべきであろう。不確実性の低下は、debt(債務・元本保証の金融商品)において特に顕著であり、それが金融機関の利潤率の低下、リスクプレミアムの低下に結びついている。つまり長短金利の期間スプレッド、クレジットリスクのスプレッド、ボラティリティーなどを対象としたデット主体の伝統的金融ビジネスは、全く儲からなくなりつつあるのである。それは、地底探査技術の発達により、地底1000メートルに眠っている金鉱脈が事前に知られてしまった事と、例えられよう。将来発掘で得られる金価格は地下採掘権として事前に価格に織り込まれてしまっているので、金鉱発掘の妙味が無くなってしまった、いわば山師の醍醐味が失われてしまったのである。
ヘッジファンドの隆盛とは裏腹の、ヘッジファンドの収益性の悪化も、そうしたものとして理解できる。ますます不確実性(uncertainty)が危険(risk)に転換し、金融の利ざやは低下する。不確実性に賭けた1990年代はじめの草創期にはシナリオに賭けるグローバルマクロ型が大半であったが、今日では不確実性(uncertainty)に賭けるグローバルマクロ型の比重は10%程度まで低下し、大半は金融工学をベースに危険(risk)にベットし、又は裁定を行うものである。儲からなくなるのは当たり前であろう。
株価革命の可能性
しかしナイトの不確実性(uncertainty)が金融から消えたわけではない。Equity(持分資本・元本変動)の金融分野では、先験的に知りえない、統計的に測定し得ない情報、知識が満載である。世界経済の現状は統計化できないパラダイム間の不確実性(uncertainty)をむしろ高めているのであり、投資チャンスがなくなったのではなく、変わった、つまり株式などのエクイティーにおいては、大いなる利潤チャンスが残されている、いやむしろ増大していると考えられる。
グリースパンの謎が定着すれば、株式の理論価格は大きく引き上げられることとなる。配当還元モデルによれば株式価値は、将来の収益・配当を分子とし、分母である割引率により現在価値に還元したものであるから、高い成長から分子が大きくなり、低金利から分母が小さくなると、ダブルの株価押し上げ効果が働くのである。然るに、理論株価が上昇するほど現実の株価は上がらない。株式の益回り(利益/株価)と長期金利の格差をリスクプレミアムと考えると、リスクプレミアムが大きく高まっているのである。過去20~30年ほど米国の株価は予想益回り=長期金利という関係で推移してきた。つまりリスクプレミアムはゼロであった。しかしここしばらく利益成長に株価が追いついていないだけではなく、金利の低下をも株価は織り込まず、米国株式は理論株価を30%ほども下回っている。
そうした割安さは、グリーンスパンの謎の持続性が確信されるにつれ、株価上昇によって是正されていくものと考えるのが自然であろう。
株式バリュエーションの革命的変化は、日本株式において特に顕著となる可能性が大きい。日本経済は1990年にバブルをつくり、破裂させたが、歴史を遡るとバブル形成は衰退の入り口ではなく、むしろ繁栄の前兆である場合が多い。バブル形成は有り余る資本と経済に対する大いなる自信がもたらすものであるが、それは行き過ぎなければ、経済繁栄の条件でもある。
日本株式の割安さは絶対的と言える状況である。図に見るごとく株式と債券・預金のリターン格差は著しく拡大した。益回り5%、配当利回り1.1%に対して日本国債利回り1.6%、預金金利0.3%という大幅なリターンギャップは日本で過去40年間無かったことである。また海外でもこれほどのギャップは見られない。そうした格差は株価と債券にとどまらない。預金0.3%、長期債券1.6%、不動産投信3~5%、株式益回り5~6%、過去に投資した事業リターン(投下資本営業利益率)6~7%、今後投資する事業投資10%プラス(筆者推定)という具合に、投資リターンのスペクトラムはかつて無く拡大しているのである。これは所有者(地主、家主、株主、事業主)となることによって得られる超過リターン(リスクプレミアム)が異常に高いことを示している。投資家は所有者(100%所有者はオウナー、持分所有者はエクイティ・ホルダー)になることに伴うリスクに極端に臆病になっているのである。その理由として、①企業収益の持続性に不信感がある、②デフレ終焉・インフレ到来により長期金利が急上昇することを懸念している、③その他(需給悪をもたらす特殊要因→年金売り・金庫株売り・時価発行増資、株主価値を損なう特殊要因→企業統合・留保利益の濫用・下方修正条項つき転換社債、等)が考えられる。しかし①、②、③のいずれも決定的かつ長期にわたって持続する要因ではない。
そもそも、前述のように、リスクプレミアムが著しく高いという事は、リスクテイカーへの報酬が大きいことを意味する。いわゆるハゲタカファンド、M&Aマニア、不動産・REIT投資家、プライベートエクイティーなどは、数年前から活発化していたが、それがいよいよ不動産そして株式へと押し寄せてきたと考えられる。こうした資金フローの変化は、限界的な部分から市場の中枢へとシフトしつつある。個人は投信へ、金融機関はより高リスク・高リターン資産へ、ローン・国債保有から複合金融・派生商品へのシフトなどである。1500兆円の個人金融資産の太宗を占め元本保証・確定利付き(超低金利)資産からの大脱走が始まりつつあると考えられる。
過去を振り返ると日本の株価バリュエーションは10~15年ごとに、革命的ともいえる水準訂正を繰り返してきた。図に見るごとく、株価の尺度は変転している。戦前の一時期また戦後の混乱期には株価は、配当利回りが社債利回りを大きく上回るほどの低水準にあった。大恐慌直後から1950年代までの米国もそうであった。株価は一年先の配当すら大幅に減少してしまうリスクを織り込んでいたのである。その後、日本では戦後から1957年まで、米国では1955年ころから1965年まで、配当利回り=社債利回りと言う関係の時代が続く。それは株式評価が配当のみでなされ、企業に留保された内部留保利益の成長、つまり自己資本増加に伴う価値上昇は全く無視されていたことを意味する。
しかし1950年代末以降、景気悪化で減配があったが株価は下落せず、株価は概ね益回り=社債利回りとの相関で推移するようになる。それは企業成長による額面増資(→増配)、投信を通した資金流入に支えられ、1960年代から1971年まで続いた。1972年以降1985年ころまで、日本では株価は更に上昇し、株式益回りは社債利回りの半分の水準まで低下した。それとは逆にPERは1971年までの10倍から20倍強の水準まで上昇した。継続する外人買い、法人持合の上昇で需給の向上が続き、その下で時価発行増資が定着した。
1985年から1990年にかけて株価はバブル形成に向けて大幅に上昇し、益回りは社債利回りの3分の1以下まで低下し、PERは50倍という水準まで高まった。ドル防衛協力のための大幅な金融緩和、過剰流動性の増加、法人の持ち合いの更なる増加など需給関係の改善が、著しい株価水準を現出させた。
その後2001年まで、金融引き締めバブル破裂、景気と企業業績の急速な悪化により株価は急落。収益悪化と株価下落により益回りはほぼ2%(PER50倍)と変わらなかったが、社債金利は急低下した。その結果2001~03年にかけては、益回り=社債利回り、という、1960年代のバリュエーション水準に逆戻りした。また2004年には配当利回りが社債利回りに近づくという、第二次大戦直後の1950年代の超低バリュエーションに逆戻りしたのである。このように見てくると、株価は企業のファンダメンタルバリュー(利益、金利)を体現するだけではなく、バリュエーション(人気要素)の大きな変動を伴っていることが分かる。特に3から5年の中期では、株価水準は財務的価値以上にバリュエーションの変化により大きく左右されていることが伺われる。そして、そのバリュエーションの変化には信用・流動性状況が大きく影響していたことが、特記される。
日本経済の長期にわたる停滞は、さまざまな根源的な要因があったにせよ、著しい信用収縮・銀行貸出減少が直接の原因であった。そして信用収縮は株価のバリュエーションを大きく引き下げ、資産デフレを深刻化させることで、状況を一層悪化させた。今、信用情勢の転換が、リスク回避姿勢の緩和・リスクプレミアムの低下となって、株価水準を大きく押し上げようとしているのではないか。