歴史的転換点は確か、但し将来の明暗、チャンスの有無は人次第
これまでの論述から、今歴史的転換点に差し掛かっている事に、異論はないだろう。それは①株価(NYダウ)が1999年以降10年間もほぼ10,000ドルで停滞してきたこと、②その間ITバブル崩壊、リーマンショック、ギリシャ・ユーロ危機と危機が頻発し株価や債券価格が大波乱(急落と急騰)を繰り返していること、③金価格が近代史上3度目の急上昇を続けていること、④主要国長期金利の歴史的な低水準まで下落したこと、等からほぼ明らかであろう。そして歴史を振り返ると、転換期に於いては、政策・戦略が決定的な役割を果たしてきた。つまり将来は宿命ではなく、人為によって切り開かれてきた、と言える。
そう考えると、今目前に困難があるからと言って、暗い将来を宿命づけられていると考える必要はない。むしろ前回までで見たように、現在の困難の原因はグローバリゼーション(=国際分業の急進展)とインターネット革命という二つの推進力によりあまりにも生産性上昇(=供給力増加)のスピードが速く、制度や需要創造が追い付いていないことにある、とも考えられる。それは本質的にはポジティブな変化である。いわば昆虫の成長過程において幼虫が大きくなり、さなぎの殻が桎梏になっている状態と形容できる。それならば、過去がそうであったように制度を変え、需要創造のスピードを上げることで、危機を好機(チャンス)に転換できる。現在その決定権を政策が握っているということは、確かであろう。
需要減をもたらす誤った政策オンパレード
ここ3カ月間の世界金融情勢急変も、ひとえに政策の大転換に起因している。震災の影響、原油価格の上昇、等による米国景気減速等はあったものの、それは大きなものではない。尚早の出口政策が最も脆弱なギリシャで堤防を決壊させ、欧州全域が洪水に洗われ、危機は世界金融恐慌にまで拡大するという恐怖が、市場を捉えている。
世界のオピニオンリーダーと政治家、政策当局が経済実態からは根拠薄弱な「債務ヒステリー」に囚われ、誤った政策のオンパレードを打ち出している。需要不足と言う病にかかっている世界経済に対して、①財政引き締め、②金融引き締め、③銀行規制強化(=信用創造の抑制)と言う、更なる需要抑制をもたらす政策を処方している。これらの一連の政策は過去の負の遺産の処理を最優先させる「清算主義」と総称でき、1930年代の世界恐慌深化の張本人である。これでは世界経済は不況から恐慌へと展開して行かざるを得ない。株価が急落し、クレジットリスクプレミアムが急伸し、リスク回避のポジションによって円が独歩高するのは当然の流れと言える。よって事態は、人々が「債務ヒステリー」から覚醒し、「清算主義」が一掃されることによってのみ転換する。
健全政策の米国、「清算主義」の欧州
米国は実体経済の調整が十分進展していることに加えて、政策が健全である(FRBもオバマ政権も「清算主義」に毒されていない)ので、着実な景気拡大が展望できる情勢にある。低迷を続ける住宅を除けば雇用も、消費、工業生産、投資も緩慢ながら成長を続けている(米国に関しては次回にレポート)。問題は言うまでもなく、「債務ヒステリー」に塗りつぶされた欧州にある。デフォルトの前科を持ち国家債務の擬制を弄してEUに加盟したギリシャの財政危機が、ポルトガル、アイルランド、スペインと伝播し、イタリアにまで及んだことを見ると、財政赤字が事態悪化の根本原因でないことは明らかとなる。イタリアは債務残高こそ大きいものの、プライマリー収支は2%の黒字(2010年)と欧州諸国の中では最優良である。プライマリー収支とは利払い費用を除く財政収支であり、政府による市場からの要資金調達額である。それが黒字であるイタリア国債が売られているということは、市場がファンダメンタルズではなく、「債務ヒステリー」というパーセプションによって突き動かされている事を物語る。このまま行けば投機売りがフランス、ドイツへと伝染し、ユーロの崩壊に至ることは自明ではないか。
なぜ健全財政のイタリア国債が売られたか
ギリシャ危機が容易に蔓延した原因は、「財布を持たない財政」と言うユーロ諸国の体制矛盾にある。中央銀行の最大の役割は「政府の財布」であり、各国政府は中銀と言う財布を持つことで自立した財政政策が可能になる。しかしユーロ各国は独立した財政を持ちながら、独自の財布を持たない。資金は市場から調達せざるを得ないから、政府が一介の企業のように市場のパーセプションに翻弄され、国債金利が急上昇する。その結果安全だったはずの政府債権を多額に保有する欧州銀行は破綻の危機に瀕する。尚早の財政支出削減は景気悪化による税収減を招き、銀行支援コストの増加ともに財政赤字は一段と増加し国債格付けは一段と低下し、市場金利は上昇する。「債務ヒステリー」に突き動かされたこの悪循環は、「清算主義」が完全に棚上げされるまで続く。今回の場合、いったん奪った欧州諸国財政の財布を返すことである。つまり、欧州中央銀行が各国国債を際限なく購入する姿勢を示すことである。財政資金である欧州金融安定化基金(EFSF)の規模と機能の拡充は実現した。EFSFの拡充により銀行が負担すべき損失の公的肩代わが可能となり、それがECBのPKO(国債価格支持オペレーション)とともに機能すれば、政府債務は保証され銀行の信用不安は解消する。
PKOが機能するか
ECBの国債価格支持オペレーション(PKO)はECBに巨額の値下がり損とモラルハザード蔓延のリスクを伴う故、批判と躊躇は避けられない。しかし、事態を放置し国債価格暴落と景気悪化の悪循環を阻止できなければ、ユーロは崩壊しECBは滅亡する。今は根拠の疑わしい副作用を心配している場合ではない。針小棒大な副作用にs囚われて、手をこまねいていては、患者は確実に死んでしまう。
欧州の最大強国ドイツがカギを握っているが、ドイツにユーロ崩壊の選択肢はないのではないか。第一にユーロ体制は東西ドイツ統合のコストであり第二次大戦に対するドイツの贖罪としての意義があった。それを葬ることはドイツが欧州協調に背を向けることであり、地政学的に選択できない。第二にユーロ体制の下でドイツ企業は汎ヨーロッパビジネスを展開でき、競争力に不相応の弱い通貨により競争力を高めてきた。経済的にもドイツにとってユーロ体制は有利であった。ユーロ維持のためのコスト支払いは、十分に見返りのあるもののはずである。
過去、公的資金注入が株価の鋭角転換をもたらした
こうした事情は、あたかも慢性疾患のような事態のだらだらした悪化が続くことを許さない。ある瞬間に一気に危機が深化し、ECBとEFSFは有無を言わさぬPKO導入を迫られることとなるのではないだろうか。
過去歴史を振り返ると、このような状況下での株価底入れは一様であった。①リーマンショック時には、銀行非難の嵐の中で銀行救済プログラム(TARP)が決定されたことで、事態は転換した。2008年10月に議会で承認、長期金利は1ヶ月後に底入れし、株価はTARPの実施状況の確認、ヘッジファンドの需給整理に手間取ったものの4ヶ月後に底入れした。②日本では2003年5月メディア等の批判に抗して「りそな銀行」を公的資金によって救済した(100%国有化しなかった)時に長期株価下落は終焉し、急上昇に転じた(株価の大底は2003年4月)。③大恐慌の時でも過去の清算にこだわったフーバー大統領が退陣し、1933年2月のルーズベルト新大統領による銀行への公的資金投入(銀行閉鎖と整理統合を伴う)で株価が急上昇を開始、一年間で2倍の値上がりとなった(株価大底は1932年6月)。このように公的資金注入の先には、株価のV時回復が待っている可能性が強い。