2017年01月29日
ストラテジーブレティン 第176号
トランプ氏の「保護主義」における二つの類型
~トランプ氏のドル安願望は叶わない~
乱暴なトランプ氏、高等戦術か
トランプ氏は期待に反して有言実行の士であることがはっきりした。TPP永久離脱、NAFTA再交渉指示の大統領令に署名した。またメキシコ国境の壁建設の指示大統領令など乱暴な対応は、メキシコ側を立腹させている。いかに粗野で無礼であっても、公約を遂行する姿勢である。日本に障壁があり米国の車が日本で売れない不公平だなどという発言は、(おそらく)フォード社の一方的入れ知恵に基づくひどい錯誤だが、この発言には市場参加者は血の気が引いたのではないか。本音だとすればその知性には大きな疑問符が付く。またブラフだとすれば交渉相手を最初から威圧する態度であり、先が思いやられる。もつともそうした粗暴さは、対中国交渉を念頭に置いている高等戦術であるとすれば、合点がいく。
「保護主義」の第一の狙い、米国低スキル雇用の創出
そうした事柄とは別に、彼の「保護主義」的に見える通商対応に大きく異なる二つの類型があることを考えておく必要がある。その第一は、米国雇用創出、特に弱者である中西部の白人のスキルの低い労働者に対するものである。2008年のリーマンショック以降、スキルの低い人々の雇用機会が大きく損なわれ、不満が高まった。図表1に見るように、米国全体では失業率4.7%とほぼ完全雇用状態にある中で、低学歴の肉体労働者の雇用はむしろ低下している。大きく減少した住宅投資、財政赤字削減の犠牲となった政府インフラ投資、原油価格下落と厳しい環境規制によるエネルギー投資抑制、等は中西部の低スキル白人労働者の雇用を奪った。インフラ投資増加、エネルギー規制の緩和による投資促進、金融規制緩和による住宅建設促進などにより、彼らの雇用機会を復元するという政策は筋の通ったもので成功するだろう。
工場現場を確保するため
そうした国内雇用創出の一環として、米国工場競争力強化のための「保護主義」が第一の類型である。NAFTAにより米国メーカー、日独韓メーカーがこぞってメキシコに工場移転を推進している。メキシコでは急激な自動車産業の集積が起き、対米輸出が急増すると予想されている。メキシコの自動車生産台数は2010年226万台(内輸出186万台)から2016年には346万台(内輸出276万台)と輸出主体に急増しているが、主要メーカーの増産計画を足し合わせれば2020年には580万台を超えていくと予想されている。特に米国ビッグスリーは今後5年間にメキシコ生産を163万台から249万台へと86万台増やす一方、米国生産を641万台から614万台へと減らす計画となっている(ちなみに日独韓メーカーは米国生産を増やす計画)。この米国からの自動車生産の大脱走を推進している元凶のNAFTAを再交渉し、工場流出を止めようとしているのである。ローカルコンテンツ比率(原産地比率)が45%とNAFTAの62.5%よりも著しく低いTPPは米国工場の海外シフトをより強めるとの懸念が、TPP永久離脱発言の最大の根拠であろう。
「保護主義」や関税は、かえってドル高を招く
また国境税の創設の狙いもそれである。トランプ政権と共和党では細部に相違はあるものの、国境税は輸出に補助金を輸入にペナルティーを科すことになるわけで、米国工場の競争力向上に結びつくと期待されている。輸入が抑制され輸出が増幅されるのだから貿易赤字が減少すると考えられがちだが、1月9日のWSJ紙上で、マーチン・フェルドシュタインハーバード大学教授は、そうではないと答えている。「貿易収支は一国の投資と貯蓄のバランスで決まるのであり、国境税は直ちには投資や貯蓄には影響を与えないので貿易収支は不変である。とすれば国境税導入の効果を相殺する為替の変化が当然のこととして起きる事になり、20%の法人税、20%の国境税が創設されるとすれば、ドルは25%上昇するはずということになる」。と説明している。
また国際経済学の泰斗であるカリフォルニア大学教授バリー・アイケングリーン氏は、「レーガノミクスと同様の諸力がドル相場を押し上げている。そうした中での関税引き上げはインフレ圧力を強め一段とドル高圧力を強めるだけである。」(1月26日ファイナンシャル・タイムズ紙)と述べている。
つまり、通商規制や関税強化を導入したとしても、その効果は相手国通貨の下落によって相殺されてしまい、結局競争力に変化は起きない、というものがオーソドックスな経済学的理解である。実際、NAFTA再交渉を主張するトランプ氏が大統領に当選して以降、メキシコペソはほぼ20%もの急落となり、むしろメキシコ工場の競争力が強まっているのである。トランプ氏の「保護主義」的対応が米国工場の競争力強化に結びつくためには、特定の相手国の通貨安を抑制することが必要となるが、それは無理な相談である。
いずれ以上のような正統的経済学の理解が為替市場に浸透すれば、トランプ氏の「保護主義」的対応は、より一層相手国通貨を弱めるものとなるが、それは日本円も例外ではない。日本車の強い競争力を削ぐための通商規制・関税強化などが実施されれば、それは円安要因になる。トランプ氏の「保護主義」的傾向が顕在化して以降、円高が進行したが、それは20年前の日米摩擦時代の「対日批判=円高」というパブロフの犬的、非論理的反応である。トランプ氏が恫喝しても円高にはなりえないのである。
「保護主義」の第二の狙い、中国の封じ込め
トランプ氏のより重要な第二の「保護主義」的類型は、これからより大規模に起きると思われる対中貿易摩擦である。それはもっぱら地政学的目的に基づくもので、その帰趨は熾烈なものになるかもしれない。民主党のシューマー上院院内総務が「トランプ大統領は公約通り中国を為替操作国と認定せよ」と求めるなど、今やワシントンは対中封じ込めの機運に満ちている。トランプ政権の国家通商会議のヘッドに指名されたカリフォルニア大学教授ピーター・ナバロ氏は、著書「米中もし戦わば-戦争の地政学」(日本語訳文芸春秋社)で共産党独裁政権の中国の覇権追求は変わりようがない事、それは必然的に米中衝突を引き起すこと、それを回避するには中国の軍事力増強の基礎である中国経済力を弱め、他方では米国国防力を増強し、未然に中国に米国覇権に挑戦する意欲をそぐことしかない、と主張している。
米国の対中支援が、中国の増長を招いたとの認識
ナバロ氏の主張を待つまでもなく、中国の急速な経済台頭は、米国の寛大な関与が決定的であった。図表3は米国の相手国別貿易赤字であるが、対中国赤字が5割と圧倒的である。また図表4に見るように、ここほぼ10年にわたって米国はGDP比2%の対中国経常赤字を計上し続けてきた。ナバロ氏は著書の中で「米国の対中経済関与が中国経済を成長させた。経済的関与は中国共産党の独裁権力を強め、中国の軍事力増強に資金を提供したに過ぎない」と主張しているが、それは正当な認識であろう。
米中摩擦で中国の競争力を削ぐ
それではナバロ氏はどのような対策を提案するのか。エコノミスト誌は「中国を適切な防衛的措置の対象にするべき」(Subject to be appropriate defensive measures )との主張を伝えている。(1月21日)。それはどのようなものか。中国からの輸入品に対して全面的に関税をかけるという脅しの下に、国際ルールからかい離した中国の通商慣行(不法な輸出補助金、通貨操作、知的財産の窃盗、強制的技術移転、多岐にわたる非関税障壁など)を是正させる、というものになるだろう。それはあたかも、1980年代以降の日米貿易摩擦の過程で、スーパー301条の適用などの脅しの下に、日米構造協議を設け日本の譲歩と国内改革を求めた手法とよく似たものになるだろう。それは全くマクロの話ではなく2国間の話となる。通商代表部(USTR)代表に任命されたロバート・ライトハイザー氏はレーガン政権時副通商代表をつとめ、半導体、自動車、鉄鋼などの貿易摩擦をリードした当事者であり、トランプ政権が日米摩擦の経験・教訓を対中摩擦に生かそうとする狙いが如実である。
とは言え、2国間の通商交渉は、マクロの貿易収支には影響しない。1980年代からの日米貿易交渉で米国の対日赤字は大きく減少したが、米国の経常赤字は対中・対ドイツ・対韓国などで大きく増加し、経常収支/GDP比率は2006年にかけてむしろ上昇した。今後展開される対中貿易摩擦が功を奏して中国の不公正通商慣行が是正されたとすれば、日本がそうであったように中国の産業競争力は低下し、米国の対中貿易赤字は減少するかもしれない。しかしそれは、米国の赤字自体の減少をもたらさず、米国の対中赤字が他国に移転するだけとなるのではないか(それがトランプ政権の狙いでもあるのだが)。中国の経済活力は大きく損なわれ、競争力を失った後、中国の貿易黒字は激減し、長期的には人民元は大きく下落するだろう。5年後か10年後か15年後か、いずれ到来するドル高・人民元安は、米中経済力格差を絶望的なまでに拡大させる決定的鍵になるだろう。ドルが大幅に上昇し、人民元が顕著に下落すれば、米中経済逆転は予測可能な将来において全く実現せず、懸念される覇権の激突は未然に回避されることになる。
トランプ大統領とピーター・ナバロ国家通商会議議長の「保護主義」的対応が、以上のような中国封じ込めという地政学的狙いを持っているとすれば(明らかに持っている!) これは保護主義とは似て非なるものである、と言うべきであろう。