2010年02月17日

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投資ストラテジーの焦点 第K287号

日本のデフレ論その1  停滞の根源日本のデフレ、その最大要因は円高

日本デフレ論が情勢分析の鍵

今世界の投資家の見解の焦点となっているのは、日本のデフレをどう見るかということ、であろう。悲観論者は世界が日本を後追いするという。米国でも、バブル崩壊→過剰供給力温存の下での超金融緩和→デフレ→更なる金利低下という経路により株価下落基調は避けられない、との見方である。 私はそうした見方は、根本的に間違っていると考える。バブル崩壊もデフレも日本のケースは全く特殊なもので、現在の米国のそれとは性格が異なっており、米国が日本の「失われた20年」を繰り返す可能性は殆どない、それどころか2010年米国経済と株式は大きく回復する途上にあり、世界株式も日本株式もそれに追随する、と考える。米国経済はデフレに陥らずに回復を遂げ、日本もそれを追い風にデフレ脱却していく、と主張したい。 日本のデフレは何が原因なのか、脱却する可能性はあるのかの解明が緊要となっていると思われるので、以下3回にわたって投資ストラテジーの焦点で日本デフレ論を検討する。

≪目次≫

日本のデフレ論その1『停滞の根源日本のデフレ、その最大要因は円高』

(1)なぜ日本は落伍したのか、元凶はデフレ (2)デフレはなぜ日本を痛めたのか (3)デフレはなぜ日本にのみ定着したのか (4)バラッサ・サムエルソン仮説の有効性

日本デフレ論その2『日本を強くした「失われた20年」』

(5)円高デフレは日本を強くした (6)今後、円高は終わるのか、デフレは終わるのか (7)2010年代の日本繁栄の条件、デフレ終焉後の世界

日本デフレ論その3『日本デフレの経験から世界を考える』

(8)世界は日本の後を追わない、デフレに陥らない米国 (9)世界繁栄の新たなステージ (10)2010年代に創造される新たな経済レジームと株式新時代

(1)なぜ日本は落伍したのか、元凶はデフレ

突出した経済停滞

日本の失われた20年間、名目経済規模はデフレにより全く成長しなかった。図表1にみるように、この間、欧米2倍、中国では5倍の名目経済規模の拡大があり、日本の停滞は際立っていた。また、パイが成長しなかったうえ所得の配分が、非生産階層(年金生活者、財政依存産業など)で大幅に増加したために、生産に寄与している階層が享受する所得は低下した。労働貢献の対価が減少したわけであるから、モラルは低下し、閉塞感が蔓延した。実体経済に加えて、株式パフォーマンスの圧倒的劣位、不動産価格の下落(他国は大幅上昇)などの資産価格の下落により、日本の停滞はより深刻なものとなった。この日本の停滞とその原因となった長期デフレを、日本固有のものではなく、世界共通の時代的現象とする見方がある。バブル崩壊→金融危機→長期デフレ、という日本が辿った経路を米国や世界が後追いする、という見方である。その妥当性を探るためには日本の長期経済停滞とデフレが、固有のものか普遍性をもつものなのか、原因を突き止めなければならない。 図表1:主要国名目経済規模推移(1995年=100);図表2:主要国株価推移(1987/7/31=100)

日本に特異な名目賃金停滞(下落)

日本の長期停滞の最大の特徴は賃金が下落したことにあるが、それは専ら日本固有の特殊事情によるものであった。図表3はOECDによる主要先進国の労働関連統計を示したものだが、1990年以降の日本に特異な特徴が表れていることがわかる。まず日本の労働生産性は1990年以前も、バブルが崩壊した1990年以降も主要国の中でも優良のパフォーマンスをあげ続けているが、労働賃金を見ると日本だけが1990年代前半に下落に転じ、その結果単位労働コスト(ユニットレーバーコスト)は他国に比し劇的に低下した、ということである。これは奇妙である。常識的には賃金は生産性に基づいて上昇するはずなのに、1990年代半ば以降の日本では、長期にわたってその因果関連が全く働いてこなかったのである。  図表3:主要国の生産性、賃金、単位労働コスト推移(2000=100)

日本が陥った生産性上昇の負の罠

生産性比較では日本は全く劣っていないのに、なぜ日本だけ賃金が低下し、デフレに陥ったのか。それは生産性上昇の二つの帰結のうち、望ましくない一つの経路に陥ったためである。生産性上昇は経済発展と生活水準向上の原動力であるが、必ずしも幸せな結果に結び付くとは限らない。望ましくないケースは以下のようなものである。生産性の上昇は労働投入の節約を可能にするので、失業の増加をもたらす、つまり企業部門には利益を、労働者の家計にはマイナスをもたらす。それは消費需要縮小と、労働需給緩和による賃金下落によりデフレ圧力を強める。日本が陥ったのはまさしくそのケースであった。 しかし生産性向上は一般的には、企業部門で新たに発生した所得が事業規模の拡大、労働賃金の上昇、株主利益の増加などとなって新規需要の創造をもたらし、新たな雇用を生み出す。それは一段の成長加速と国民の生活水準の向上をもたらすものである。1990年代後半以降の日本ではなぜそうした一般論が当てはまらなかったのだろうか。なぜ企業部門で発生していたはずの生産性上昇による所得の向上が、新規需要・新規雇用の創造に結び付かなかったのだろうか。 図表4:主要国物価指数推移(2005=100)

(2)デフレはなぜ日本を痛めたのか

大英帝国の絶頂期のデフレ、通貨高

デフレには多くの側面がある。よいデフレもあり得る。デフレは生活者にとっても企業にとってもコストの低下をもたらし、その限りにおいて実質所得を押し上げる。また通貨の購買力が高まるので通貨価値が上昇する。それは対外購買力を一段と上昇させ交易条件を向上させる。その好例が、イギリスのビクトリア時代であろう。イギリスでは1870年代から1890年代にかけて長期デフレが続いたが、日本のような経済停滞には陥らなかった。この間のイギリスの実質経済成長率は、あとから追い上げてくる主要国と比べても遜色のないものであった(1873年から1899年の一人当たり国内総生産年平均成長率はイギリス1.2%、アメリカ1.9%、フランス1.3%、ドイツ1.5%、イタリア0.3%、日本1.1%、・・・・北村行伸「週刊ダイヤモンド」2009.4.4より)。金本位制の下でのデフレは直ちに通貨高をもたらし、海外投資力を大きく増強させ、大英帝国の巨額の金融収益の基盤を構築させた。当時、英国は工業国としての優位性を後発の米国、ドイツ、フランスに譲りつつあったが、金融を軸として世界覇権国家としてのプレゼンスを高めたのである。ビクトリア時代のイギリスは海外金融資産の蓄積、金融による世界支配、金利生活国としての収入源の強化、の時代であった。金融所得が金融産業強化と内需拡大をもたらす成長の好循環が、持続されたのである。

ビクトリアデフレと日本デフレの違い

1990年代以降日本のデフレはそのような展開には至らなかった。円高の強さを活用した海外投資、金融による世界支配などは、覇権国ではなく投資インテリジェンスも欠如している日本においては、覇権国米国のブレーキもあり、実現するべくもなかった。それどころかイギリスが金融覇権を強めたのとは逆に、日本では金融産業がむしろ衰弱した。

デフレが内需産業と金融産業を痛める

日本のデフレは、特に二つのセクターを痛打した。第一は、内需関連のサービス産業や農業などである。これらの産業は本来生産性の上昇が乏しいので、他の産業並みに賃金を引き上げるためには、販売単価の値上げが必須である。かつてインフレの時期には、価格引き上げが容易であり、それによってその産業の利益と従業員の給与上昇がなされた。しかしデフレとなるとそれが不可能となり、広範な内需関連サービス産業やそれに依存する地方経済が疲弊したのである。第二に、デフレが金融セクターを痛めた。名目経済の縮小に加えて、デフレによる実質金利の上昇が資金需要を低下させた。また資産価格の下落が、金融機関の投資収益・トレーディング利益を損なった。日本の金融機関は不良債権の処理が終わっても収益が回復しなかったために、リスクキャピタルの提供が不可能になってしまった。 そうした環境下で唯一生産性の上昇によって所得を上げ続けることができたのが製造業であったが、製造業の場合も生産性上昇の成果は円高によるコスト高の補てんと対外投資に回され、国内の賃金上昇には結びつかなかった。図表5に見るように、日本の雇用、特に製造業雇用が1990年前後に屈折し、非製造業雇用も停滞して、その穴を埋め切れていないことがわかる。米国では製造業における雇用喪失は長期にわたって緩慢に実現し、非製造業での着実な雇用増加がそれを大きく凌駕し続けたことがわかる。日本は海外移転、空洞化の穴を埋めきれず、米国は内需産業の発展によって埋められた。 こうして、賃金下落と内需縮小の悪循環がもたらされた。1990年代以降の日本はデフレと通貨高の最も有利な要素を享受することができなかったのである。 図表5:日米の製造業・非製造業の雇用推移(1980=100)

(3)デフレはなぜ日本にのみ定着したのか

日銀主犯説、デフレギャップ説は弱い

日本はなぜデフレに陥ったのか、(a)日銀主犯説、(b)大幅な需給ギャップ説、(c)グローバル技術要因説など、が指摘されているが、いずれも十分に説得力があるとは言えない。(a)については、日銀によるバブルつぶし策などがデフレの引き金を引いたことは事実である。しかし、その後のゼロ金利までの利下げ、金融危機下の際限ない資産膨張、それ以降の量的緩和なども実施されている。デフレの全責任を金融政策に帰するのは強引であろう。(b)については、間違ってはいないがしっくりこない。なぜならデフレと需給ギャップ拡大とはメダルの裏表とも言えるからである。売値が下がるのは需給が弱いから、ではなぜ需給が弱いかと言うと、デフレが定着したから、では同義反復(トートロジー)になってしまう。つまり需給ギャップ説は状況説明であって原因の説明とはなっていない、と言える。(c)は全く正しいデフレ要因である。しかしそれは世界共通の現象であり、日本固有のデフレの説明にはなりえない。

円高主因説

ここに至って第四の理由が浮上する。最も重要な要素は、円高デフレに陥ったことではないか。1990年代はじめ、日本産業の強烈な競争力と日米貿易摩擦により、日本は大幅な円高を余儀なくされた。図表6に見るように当時の購買力平価(PPP)は1ドル190円程度であったのに、円レートは100円以上まで上昇したので、内外価格差は2倍近くまで拡大した。日本企業は海外の2倍の高コストを背負わされ、徹底したコスト削減と合理化・生産性の向上を迫られた。この異例の価格差は普通なら円安によって解消されるはずなのに、1990年代、2000年代の日本の場合には円安転換が起こらず、もっぱら日本と海外との物価上昇率格差によってのみ、価格差は解消された。それがこの20年余り、日本に作用し続けた強烈なデフレ圧力だったのではないか。  図表6:日本円の購買力平価と市場レート、内外価格倍率推移

円高の異常性

日本の円高は、いくつかの点で異常な側面が見られた。第一は内外価格差が極端に拡大し定着したことである。図7に示した1970年以降の主要国の内外価格差倍率推移を見ると、円以外の通貨の市場レートは、内外価格差ゼロを軸に変動しているのに(長期的には市場為替レートは購買力平価に収斂しているのに)、円だけは市場レートが購買力平価から極端に乖離し続けたのである。1990年代半ば、皇居の地価がカリフォルニア州と同等であることが話題となった。日本の通貨は対外的には極端に強くなった。しかし国内では購買力が著しく低く(物価が高く)、東京は世界一の高物価都市、世界一暮らしにくい都市であった。  図表7:主要国の内外価格倍率推移 二点目の円高の異常性は、日本の所得との関連である。後述するバラッサ・サムエルソンの仮説に従えば、内外価格差は所得水準(=生産性水準)の高い国ほど高くなるはずなのに、日本は所得水準が先進国の中ではさほど高くないのに、内外価格差だけが突出して高かった(図表8)。つまり円高になる実力が備わっていないのに円高になった、と言うことである。 図表8:所得水準(一人当たり実質GDP)と内外価格倍率比較(1999年)

購買力からかい離した円高は、日本のフリーランチのコスト

なぜ購買力平価から著しく乖離した円高が続いたのだろうか。それは一時日本の産業競争力が強すぎ、貿易黒字がとめどなく増加し続けたからである。1990年当時の日本の強烈な競争力の一因には、戦後の日本経済の「ただ乗り(米国の寛大な技術供与、市場開放など)」という側面があったことは確かで、法外な円高は日本のそれまでのフリーランチに対する対価という側面があったと考えられよう。また1970年代日本円は安すぎ、日本企業の競争力を異例の水準まで強めてしまった、超円高はその対価であったと言えるかもしれない。 このように考えると円高を日本いじめ、あるいは日本を抑え込むための陰謀などと捉えるべきではあるまい。円高にならずに日本の破壊的競争力が放置されていたら、それは米国の産業基盤を大きく損なったであろう。米国では経済困難と日本批判、自由貿易批判が高まり、極端な保護主義や貿易戦争の勃発を経て、日本企業の活動は政治的に大きく抑制されたであろう。ペナルティー円高は日本が過去に享受したただ乗りコストの後払いという必然性があった、と考えられる。

ただ乗りのコストは払い終わった

もっとも、ようやく膨大な内外価格差(購買力を上回るコスト高)は解消した。2009年のGDPベースの購買力平価は115円と、ほぼ実際の為替レートに収斂してきている。また日本の突出した産業競争力も韓国、中国などの台頭により、過去のものとなった。日本の貿易黒字は大きく減少し、対外経常黒字は残っているものの、中国の影に隠れてほとんど見えなくなっている。日本は15年以上かけて、ただ乗りのコストを払い終わり、もはや購買力平価を上回る円高を甘受する必要はなくなった、と言えるのではないか。ここ1、2年長期にわたって続いた円高ペナルティーの終焉を実感させる事態が起きると予想される。  図表9:日本貿易黒字推移

(4)バラッサ・サムエルソン仮説の有効性

一物一価が貫徹すれば先進国ほど物価高となり、内外価格差は拡大する

以上の円高が原因となったデフレの進行は、国際経済学上の仮説バラッサ・サムエルソン効果の有効性を示唆していると考えられる。バラッサ・サムエルソン効果とは、国際経済において一物一価の法則が貫徹していく、という原理を確認するものである。さしあたって一物一価が成立するのは貿易財部門(製造業)でありそこでは同一生産性の労働コスト(単位労働コスト)が同一水準に落ち着く。つまり、生産性上昇率の高いA国の賃金上昇は高く、生産性上昇率の低いB国の賃金上昇率は低くなる。その場合、国際的な競合のない非貿易財部門(サービス業)の賃金上昇率も、一国内において裁定が働くので、A国では高く、B国では低くなる。ここで問題は貿易財は資本集約的なので生産性上昇率の国ごとの格差は大きいが、非貿易財(サービス業)は労働集約的であり、どこの国であっても生産性上昇率格差は小さい、ということである。先進国でも新興国でも例えば床屋さんの生産性には大きな相違はない。となると、生産性に違いはないのにA国のサービス業賃金は高く、B国のサービス業賃金は安くなる。つまり、A国は(高い賃金を吸収するために)サービス価格インフレが起き購買力平価は低下し、B国はサービス価格インフレが起きないために、購買力平価は逆に高くなる。つまり、生産性の高い先進国(高所得国)ほど購買力平価は市場為替レートと比較して安くなり、内外価格差は大きくなる。上述の、「日本はとびぬけた高所得国でなかったにも関わらず、内外価格差が極端に大きかったのは、異常だ」と指摘したのは以上の事情による。

円高=デフレ、円安=インフレ、の因果関連

さてバラッサ・サムエルソン効果が、日本の超円高の局面では、全く逆に働いたことが想起されるべきではないか。円高⇒日本の貿易財産業賃金の(相対的)低下⇒日本の非貿易財産業の賃金低下⇒日本の全般的デフレという経路である。為替レートがフレキシブルに動かず円高で固定されると、デフレ圧力が高まるのである。逆も又真、円安⇒日本の貿易財産業の(相対的)賃金上昇⇒非貿易財産業の賃金上昇⇒インフレ、ということもあり得る。円安が定着すれば、バラッサ・サムエルソン効果によってインフレが起きる、という可能性を指摘しておきたい。

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