2010年01月04日
投資ストラテジーの焦点 第K286号
2010年とはどういう年か、繁栄の10年の可能性
~注目点は『グリーンスパンの謎』の再現可能性~
明けましておめでとうございます。 昨年中は大変お世話になりました。 本年もご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。 昨年7月に、ドイツ証券から独立し、あっという間に半年が経過しました。『論理一貫、独立不羈、歴史的国際的視野』をモットーに、真摯に経済と市場の行く末を考え、より多くの方々と意見の交流を図り、より確かな見識を確立したいとの思いが、ようやく実現しつつあることは大いなる喜びです。 歴史は何度も人々の知恵と勇気によって救われたと思います。国の行く末や人生は予め定められているのではなく、知恵とチャレンジによって切り開かれていくものだと考えます。武者リサーチの活動がそうした大河の流れに寄与できれば幸いです。 リーマンショック後、世界に吹き荒れた100年に一度の金融パニックは漸く鎮静化してきました。2010年は危機からの生還により、積極的にチャレンジすべき年になると考えます。通説的悲観論から脱却する年です。武者リサーチの想定は、①米国経済の力強い回復、②ドルの上昇、③日本経済の輸出と円安による急回復、④日本株式の鋭角上昇、⑤長期金利の緩慢な上昇です。 昨年、金融危機の影響が最も小さかった日本が世界最大の景気落ち込みとなったのは、円高デフレの悪循環にはまり込んだためで、デフレは生産性上昇の余地が乏しい内需産業と地方経済を痛めました。2010年は円安、デフレ脱却により内需産業にも光が差してくるものと思われます。積極的なリスクテイクが報われる年になると確信しております。 皆様の繁盛をお祈り申し上げます。 <目次> (1)2010年は短期循環のsweet spot に (2)構造面では停滞の2000年代(2000~2009年)の終焉も (3)超長期株価循環の読み方、再浮上するか『グリーンスパンの謎』 (4)日本にとってはどんな年か 参考KSI277(2008年11月日)より抜粋 (1)米国レバレッジの調整は早期に完了、経済後退は2009年前半まで (2)パラダイムは変わるのか
(1)2010年は短期循環のsweet spot に
実体経済のsweet spot
2010年は世界景気循環において、sweet spotの年と形容できる、恵まれた局面になると予想される。第一に実体経済において、力強い循環回復の条件が整っている。世界経済のカギを握る米国で企業、家計、住宅の主要3部門で著しい調整の進展がみられる。米国経済は戦後でも最もスリムな状態にある、と言える。また中国など新興国での経済拡大が加速化している。
空前のスリム化、米国経済
前回の投資ストラテジーの焦点(KSI285号)でレポートした通り、米国ファンダメンタルズの改善は驚くほどである。「企業部門においては空前のスリム化が、家計部門では空前の過少消費化が、住宅部門では空前の価格割安化、が進行している。いずれもパニックによる異常収縮の結果である。米国実体経済の調整は十分である。今後、異常から脱却のインパクトは想像外かもしれない。」米国国内要因に加えて、中国の内需急回復(11月輸入26.7%増、新車販売96.4%増、工業生産19.2%増)は米国をはじめ先進国の景気回復に大きく寄与するだろう。これらにより、2010年は米国経済の突出した回復が想定される。ドイツ銀行による2010年の経済見通しでは米国3.6%、EU1.5%、日本1.1%、新興国5.9%と、米国の顕著な回復が見込まれている。当然超金融緩和からの出口は、米国が最も早くなる。それはドル高要因となる。
大幅な利幅はリスクテイクを促進する
第二に2010年は金融循環において絶好の投資機会を提供する、と予想される。図表②に示すように、株価変動はイールドカーブ(超短金利差)の循環とほぼ連動してきた。つまり株価のボトムはイールドカーブのピークに半年から一年先行し、株価のピークはイールドカーブのボトムに数か月先行してきた。現在はイールドカーブがピークをつけていく状況にあり、株価上昇はまだ序盤と言える。これまで、株価がピークアウトする前提となってきたイールドカーブの底入れは、相当の金融引き締めの後となるはずで、それは1、2年以上先のことであろう。つまり金融循環においても2010年は投資のsweet spotをとなることが示唆されている。 スティープなイールドカーブ、つまり大幅な長短利ザヤは金融収益を増加させ、金融機関の資本増強とリスクキャピタルの提供を推進する。それは投資家のリスクテイクを促進し、株式などリスク資産の価格を大きく押し上げる。米国のイールドカーブ循環と日本株式との連動性も強く、2010年は日本株式にとっても意外高の可能性を秘めている。
ソブリン・リスクに過度の懸念は不要
市場で懸念されているのはソブリン・リスクである。金融危機対応で民間リスクが政府部門に肩代りされたために、主要国の国債金利が上昇し、景気回復を阻害するという懸念である。それは弱小新興国ではあり得るが、米国や日本などの大国に関しては、当たらないのではないか。潤沢な投資資金は危機の前も、さなかも、危機の後の現在も継続している(例えば米国の家計貯蓄+企業貯蓄額は戦後最大の積み上がり状況にある)。資金が国債から逃避するとして、どこに行くというのだろうか。リスク資産に向かうとすればそれは良い金利の上昇であり、実体経済を力強く支えることとなる。
(2)構造面では停滞の2000年代
(2000~2009年)の終焉も
史上最悪、2000年代 株式パフォーマンス
以上のように短期循環的には恵まれた局面にある2010年であるが、構造面では楽観は許されない、との正当な懸念がある。実際2000年代(2000年から2009年)は史上最悪の株式パフォーマンスの10年であった。ウォールストリート・ジャーナル紙(2009年12月21日)は1999年末から2009年末までの10年間の米国株式パフォーマンスは、-0.5%と統計遡及が可能な1830年代以降最悪の10年となった、と伝えている(図表③)(エール大学ウィリアム・ゴッツマン教授のデータに基づく)。ITバブル崩壊、クレジットバブル崩壊という、二つの大下落相場が続いたわけで、それも当然であった。大恐慌の1930年代ですら、10年間のパフォーマンスは-0.2%であったことを考えると、その悪さは際立つ。また2000年代(1999年末から2009年末まで)債券は年率5~8%、金は年率15%のパフォーマンスであったことと比較すると、2000年代の株式は最悪の投資対象であったといえる。そもそもこの10年のスタートである2000年はITバブルのピークであり、株価は著しく割高(PERは40倍と史上最高)、その後10年間、高値は抜けなかったのである。
最悪は過ぎ去った
このように過去が悪かったからと言って、現時点で悲観的になるのは遅すぎるのではないか。2008年末から2009年初頭にかけてクレジット市場では大恐慌以上の倒産確率を織り込むなど、最悪の事態が想定されたわけで、それは以上の惨事が起きるとは考え難い。と言うことは株価は一年前が大底であったと言えるのではないか。そして大底をつけたことがほぼ確実であるとすれば、次の時代が始まっている可能性があると考えるべきではないのか。
1990年代、2000年代
1990年代、米国株式はグローバリゼーションとインターネット・情報革命と言う二つの夢を最大限に織り込み、バブルをつくった。2000年代は1990年代に最大限に織り込まれた夢の消化の10年であった。そして実体経済においては、グローバリゼーションとインターネット・情報革命が着実に進展し、経済繁栄の新しい姿が明瞭に現れた。両テーマの主役は既に舞台に上っている。しかし、先走った過剰な期待の調整が一旦はおきた。それが2度にわたるバブル崩壊相場であった。
そして繁栄(?)の2010年代
さて2010年代の入り口の現在、実体経済面では10年前のバブルで描いた夢が現実のものとなりつつあり、他方で株価は大きく調整されている。2010年はグローバリゼーションとインターネット・情報革命がどのような繁栄を実現して行くのか、繁栄の現実を着実に織り込む十年となる、とは考えられないだろうか。
(3)超長期株価循環の読み方、再浮上するか『グリーンスパンの謎』
何故金融危機脱却は容易だったのか
2010年代を考える上で鍵となるのは、なぜ拍子抜けするほどの順調な市場と経済の立ち直りが起きたのか、の分析である。100年に一度の金融パニックに遭遇し、ほとんどの人々が深刻な経済の後退と暗い未来の到来を予期したのに、今のところ安易すぎるほどの復活が進んでいる。悲観論者が「偽りの夜明けだ、危機はまだ終わらない、いずれ二番底が来る」と主張しているのは、首尾一貫を貫くのであれば当然と言える。 なぜ金融がかくも安易なのだろうか、金融緩和政策と財政政策だけで危機は回避されたといえるのだろうか。政策効果とは単なるリスクの民間から政府部門への移し替えにすぎず、いずれ政府部門で破綻が起きるとの悲観論は、一見筋が通っている。①景気回復による資金需要回復、②政府赤字増大、③インフレ懸念の高まり、により金利が急上昇、景気回復がとん挫するというもっともらしいシナリオ、上述の「ソブリン・リスク」シナリオである。
ゼロサムか、プラスサムか
私はそうした悲観論は間違っていると考える。議論の分岐点は、ゼロサムゲームを前提にして議論をするべきかどうか、というところにある。生産性が高まらず、経済は成長せず、所得と資本が増えないとすれば、パイの奪い合い、リスクの押し付け合いとなり、どこかにしわ寄せが起き、いずれ悲劇が起きる。しかし経済が成長し資本の蓄積が進展しているとすれば、しわ寄せが起きず、八方がうまくおさまるということが起きてもおかしくはない。
2009年の米国企業部門の驚き
2009年の米国の株価回復を可能にした二つの事実、①労働分配率の歴史的低下、②企業部門における歴史的資金余剰の発生、は「パイが拡大している」、「労働生産性の上昇が続いている」というクリスタル・クリアーな事実を表している。そしてその推進力は、①グローバリゼーションと、②インターネット・情報革命である。つまり歴史の追い風が、通常なら閉塞に陥る危機の処理を、いとも容易に成し遂げてくれている、ということである。
2010年の焦点は長期金利
このように考えていくと2010年の本当の勝負は、米国長期金利の行方ということになる。政府部門の赤字などにより長期金利が急上昇し景気拡大を頓挫させるか、それほどの金利上昇が起きず、経済の持続拡大を可能にするか、の読みである。私は後者の可能性が高いと考える。そしてその場合、しばし忘れられていた『グリーンスパンの謎』が再現することになる。図表④に見るように2004年から2007年にかけて、金融引き締めと景気拡大にもかかわらず、長期金利が上昇せず、過度のリスクテイクと住宅バブル生成をもたらした。
依然『グリーンスパンの謎』が鍵
何故高成長下で長期金利は上がらなかったのか?・・・・万人が納得する答えはまだ出ていないが、通説的な理解、①過剰金融緩和、②過度のリスクテイク、は全く答えになっていない。確かに過度のリスクテイクによる高レバレッジが、リスク資産選好を強めリスクプレミアムを著しく低下させた。しかしその場合長期金利は逆に動くはずである。なぜならリスクテイクを高めるということは、リスクフリー資産を借り(を売り)、リスク資産を買うということなので、リスクフリー資金の金利(=長期金利)は押し上げられるはずだからである。
『グリーンスパンの謎』と歴史的順風
このように考えると、2000年代半ばの米国長期金利の抑制の原因は、潤沢な余剰貯蓄が存在しているということ、そして余剰貯蓄の源泉は超過利潤にあるということに行きつく。私が2007年の著書『新帝国主義論』で主張した、黄金シナリオである。バーナンキFRB議長は2005年に海外の貯蓄余剰(global saving glut)が原因と説明したが、その根本原因は世界生産性の高まりという、歴史的現実にあった、と言うべきではないだろうか。 私が仮説として主張している『グリーンスパンの謎』を引き起こした原因(①グローバリゼーション、②インターネット・情報革命による生産性の上昇)が金融危機の後も変わっていないとすれば、いずれ到来する力強い景気回復局面においても、米国長期金利は大きく上昇せず、経済拡大を阻害しない、ということになる。
実質株価と経済レジーム
そして、その場合新たな経済時代の到来が予見される。図表⑤は私が20年間ウォッチし続けている米国の実質株価の100年チャートであるが、それは見事に米国の経済時代区分と照合している。 ① 1929年までの上昇⇒古典的自由主義経済(金本位制)の繁栄 ② 1930年から1940年代半ばまでの下落⇒大恐慌・大戦、古典的自由主義経済の挫折 ③ 1940年代半ばから1967年までの上昇⇒ケインズ主義(管理通貨+財政政策+IMF体制)の繁栄 ④ 1967年から1982年までの下落⇒トリレンマ・ケインズ体制の挫折 ⑤ 1982年から2000年までの上昇⇒新自由主義の繁栄 ⑥ 2000年から2009年までの停滞⇒新自由主義の行き過ぎの挫折 ⑦ 2010年から ⇒資本主義の進化(自由主義とケインズ主義の融合)、地球帝国の繁栄?
2010年代の新レジーム
仮に『グリーンスパンの謎』が2010年再現されるとすれば、2010年は新たな地球帝国の繁栄の幕開けとなる可能性が出てくる。それでは新たに到来すべき繁栄の時代とは、どのようなものなのか。分析抜きでラフにスケッチすると、資本主義の進化の時代、つまり自由主義とケインズ主義の融合の時代、国際金融面ではドル基軸を多国協調が支える通貨体制の時代となるのではないか。2000年代の新自由主義の挫折とは、(通俗的な強欲の野放しというものでは全くなく)、根本的には潤沢な超過利潤を再投資として循環させるメカニズムが、市場の中からは生まれて来ず、バブル形成と資本の浪費に帰着したという点ではないか。余剰資本を需要創造に結び付けるためには、政策の力が必要な時代である。それは自由主義とケインズ主義の融合による資本主義の進化として実現される、のではないか。
(4) 日本にとってはどんな年か
米国回復と円安転換で好循環始まる
以上のグローバル経済の枠組みの変化は、日本株に絶好の追い風になる。最も重要な点は、ドルの底入れとともに投機の円安が復活するかもしれない、と言うことである。2009年のグローバル投機においては、ゼロ金利の米国ドルが調達通貨となり、米国からの資金流出が増加してドル安が進行した。他方、デフレにより短期(実質)金利高を余儀なくされている日本円が買われた。しかし米国経済の回復が明確になると、米国ドルによる資金調達のリスクが高まる。そして世界で最も成長力が低くゼロ金利脱却の展望が立たない日本円がドルに代わって投機のファンディング・カレンシー(キャリートレードの調達通貨)となる可能性が強まる。円資金の流出がおき、意外な円安を誘発する可能性が高まる。
日本株一気に劣勢を取り戻す公算
それは窮地にある日本経済には、干天の慈雨となるかもしれない。昨年金融危機の影響が最も小さかった日本が世界最大の景気落ち込みとなったのは、円高デフレの悪循環にはまり込んだためである。デフレは生産性上昇の余地が乏しい内需産業、地方経済を痛めた。しかし2010年に円安転換がおきれば、デフレ圧力は大きく緩和されていくだろう。内需産業にも光がさしてくるものと思われる。 もちろん世界経済の回復により輸出の鋭角回復が期待できる。輸出主体の製造業の収益は劇的に改善するだろう。日本株式投資においても積極的なリスクテイクが報われる年になるだろう。
参考KSI277(2008年11月20日)より抜粋 以下は今回の金融危機がパラダイムの転換を意味するものなのかどうかに関して、金融危機の只中の2008年11月において、投資ストラテジーの焦点277号で論じた見解である。 (1) 米国レバレッジの調整は早期に完了、経済後退は2009年前半まで パラダイムの転換には至らない 今後を占う上で、現在の金融危機の歴史的位置付けが重要である。あえて図式化すれば、二つの見方が挙げられる。その第一は現在の危機は単なる行き過ぎの調整であり、過度の借金レバレッジの調整、借金に基づく需要の一時的調整を経て回復に向かう、と言うものである。その場合、妥当なレバレッジ倍率までの低下の期間と、調整の深さをどの程度のものと考えるかで、回復のペースが変わってくる。それに対して第二に、現在の金融危機は時代の変わり目を示唆する、との見方がある。後者なら危機は更に深刻化し、長く深い暗黒時代の到来の覚悟が必要になるかもしれない。パラダイムの変換に関しては、①米国流投資銀行主導の金融モデルの崩壊、②新自由主義の破綻、③ドル主軸の通貨体制の挫折、の3つの考え方がある。 勿論未だ、危機展開のさなかにあり、結論を断定できる場面ではないが、予め筆者の観測を述べれば、現在の金融危機は、パラダイムの変換のもたらすまでには至らず、深刻な経済停滞は回避可能と考える。行きすぎのレバレッジ、債務の一定の調整が完了すれば、再び緩やかなレバレッジを活用した成長軌道に戻る可能性が大きいのではないか。その最大の理由は米国の極端なレバレッジは主として金融部門の中で積み上げられたものであり、金融部門の外では考えられているほど、高くは無く、調整は比較的早期に完了すると考えられるからである。 (2) パラダイムは変わるのか ここでは現在の金融危機が示唆すると考えられる三つのパラダイム変換の可能性について、考えてみる。筆者はいずれの項目も、パラダイムの転換と言うほどの大きな変化をもたらさないのではないかと考えている。
①米国金融資本主義の終焉の可能性 1999年の新銀行法(グラム・リーチ・ブライリー法)以降、規制の欠陥につけ入ったレント(超過利潤)が発生。それに基づいた過度のレバレッジ、リスクテイクがバブル形成の原因となった。土俵を平らにし、公平性・透明性によりレント発生の根源を断つことが必要である。しかし直接金融、証券化金融、現在価値での諸資産間の裁定機会追及などの金融ビジネスの基本は変わらず、投資銀行が果たしてきた役割は維持される必要がある。誰が将来のプレイヤーとなるかは不透明、さしあたってはリスク分散が効いているユニバーサルバンクだが、その先は見えてこない。 とはいえ、Global wholesale bankingは引き続き成長分野であり続けるだろう。特に株が重要になってくるのではないか。金融収益の源泉である不確実性はクレジットより株にある。クレジットの収益の源泉である倒産確率は統計で計算可能であるゆえに利幅は小さい。それに対してエクイティーの収益の源泉であるキャッシュフローの予想は全く不確実である。それはまたアナリストによる個別リサーチに依存するのでコストがかかる。従って今後株式が金融収益源泉の中心になっていくのではないか。M&A、プライベート・エクイティー等も株式の派生型ビジネスと言える。企業が稼ぐキャッシュフローを投資家の求めるイールドに変換するところに、金融の核である資産運用ビジネスの本質がある。 このように引き続き金融イノベーションの源泉は大きいが、イノベーションの推進に最も適しているのはやはり米国であろう。自由な市場、創造性、財産権の尊重、基軸通貨国など、他を圧する優位性を持っている。 ②新自由主義経済体制の終焉の可能性 自由主義が放逸に堕し、バブルをつくってしまった。また金融グローバル化、技術化で進展する金融の現実に制度がついていけなかった。金融制度設計の再構築と適切な監視は必須であろう。しかし金融危機は市場がもたらしたというのは一部誤解であろう。むしろ間違った制度が根本原因と言える、①銀行・証券制度、公募・私募、ヘッジファンドと機関投資家、などplaying field がでこぼこ、②GSEを使った不透明な住宅政策(社会政策か経済政策か)、③会計(会計基準)、金融(BIS)、各国金融当局の連携の不備⇒pro cyclicalな規制など、制度面での問題が市場の機能をゆがめたのである。 しかし1980年代から進展している小さな政府、規制緩和、市場活力の重視、グローバル化など、自由主義経済化の本質は変わり様がない。技術とグローバル化はより市場の効率を高め、見えざる手を効率化していることは疑いがない。1980年代以降の経済レジームを新自由主義とくくり、それのアンチテーゼの時代がやってくると言うのは、単純化しすぎではないか。クリントン政権が共和党ブッシュ政権の経済政策を踏襲したように、オバマ政権も米国の創意性をそぐような、一辺倒の規制に偏るとは考えられない。 と言うことは、1980年代から継続している長期株価上昇のトレンドが挫折したと断ずることも、尚早と言わねばならない。 ③ドル体制の崩壊の可能性 逆説的だが、金融危機深化がドルの価値を高めている。米貿易赤字縮小、米国人の海外投資の国内引き上げ、ドル資産投資の損失の穴埋め、などがドル不足を引き起こした。ユーロは急落し、新興国では相次いで通貨不安が起こっている。危機で選好されるはずの金価格も軟調である。円を除きドルは最強通貨となった。危機における価値の高まりこそ、共同幻想の最後の拠り所としての、ドル本位制であることの証明である。最後の決済手段はドル紙幣なのである。 ドルの奇跡に代替できるものは当分全く見あたらない。巨額の債務が喜んで受け入れられ、流通するという通貨の条件は、①米国の覇権・強制力、②米国の購買力、③米国の普遍性=オバマ新大統領で強化されよう。ドル代位として引き合いに出されるユーロは2008年までバブル的に上昇したが、その調整場面に入っている。
ドルベアの根拠薄弱 外貨準備に占めるドル比率の低下をさして、ドルからの資金逃避が起こっているといわれるが、それは全くの間違いである。この間のドル安によりドルの比率が自動的に低下しただけである。図表に見るように、仮にドルとユーロの為替レートが変化なかったとすれば、世界の外貨準備高に占めるドルの比率は全く変化なかったと言える。また米国の巨額の対外赤字をドル悲観の根拠として指摘する向きが多いが、米国の対外所得収支は2008年2Qに至るまで、大幅な黒字であり、債務負担のコストは未だ発生していないのである(図表参照)。故に米国の長期金利は十分に低く、ドル債務を抑制するような市場圧力が高まる気配はない。 もっとも現在のドル本位制が完全な変動相場制の下で構築されているわけではない。あえて言えば、管理フロート制の下で、大幅な対外黒字国日本と中国が外貨介入の形でドルファイナンスを続けていることが、ドル基軸体制の必須の柱となっている。今回の20カ国サミットでは、日本と中国のドル基軸体制擁護が決定的な力となった。 ドル基軸体制に大きな不安はないと思われるが、現在世界はドル不足つまり、「ドル価値の維持に腐心すれば、ドル流動性不足により世界経済は悪化する、景気に配慮すればドル不安が高じる」、という古典的「流動性のディレンマ」に直面している。過去、「流動性ディレンマ」に直面した時には、米国は常に流動性の供給を優先してきた。今回もまた同様で、米国中央銀行はバランスシートを急拡大させており、うち約半分が通貨スワップによる海外に対するドル供給である。バブル破裂で大きな目詰まりを起こしたドルと言う血液の循環(ドル流動性)を建て直し、世界の隅々まで、行きわたらせる大作戦である。国際協調の金融緩和と米国の流動性供給で、このディレンマは解消に向かう、と予想される。